美術館のご案内-visitor information-

創設までの歩み創設までの歩み

ディマシオとの出会い、そして、新冠に美術館が出来るまで

step01

谷本 勲理事長とディマシオの出会い

40数年前、偶然パリのギャラリーでディマシオの作品に出会い、あまりの美しさに衝撃が走ったと当美術館の理事長、谷本 勲は話します。
鉄鋼業界の第一線で活躍していた理事長が絵を買ったのは、ディマシオの絵が初めてでした。
その後コレクションは100点、200点と集まっていきます。
ディマシオの素晴らしい作品をできる限り多くの人にみてもらいたいと考えた理事長は、将来美術館をつくるとディマシオに話します。するとディマシオは美術館のシンボルになるような絵を描く、と約束するのでした。

step02

超大作の完成

約束通りディマシオは1994年から1997年の年月をかけ、高さ9メートル、幅27メートルという世界最大の油彩画を完成させます。
超大作はそのあまりの大きさゆえに、大阪や東京を含め日本中で展示できる会場が見つからず、大切に保管されたまま15年という歳月が流れました。

step03

美術館の設立を決意

ある朝、理事長がたまたまテレビを見ていたところ、北海道の新冠町で廃校になった小学校がネットオークションにかけられる、というニュースに遭遇します。一度も訪れたことのない場所でしたが、何かを感じた理事長はすぐに大阪から廃校のある新冠町へと向かいます。すると、65年前に入植された開拓者の方と出会い、「この小学校をなんとか再生してほしい」と手を握られ、その熱意にひどく心を打たれました。
「開拓者魂が乗り移った」
そう話す理事長は、鍬ではなくアートでこの地を開拓することを決意。この場所に美術館を設立することを決めました。

step04

旧・太陽小学校の歴史

明治以来、多くの先人たちが北国の厳しい自然環境のもとで、数々の試練や困難を乗り越え、何もない原生林から今日の新冠町太陽の礎を築いてきました。
昭和21年に最初の開拓団が太陽地区に入り、最初に立てたのが旧・太陽小学校の前身、「木の皮学校」。
このような開拓精神を受け継いできたこの新冠町太陽で、2008年に惜しまれながら廃校になった小学校が本施設の前身である旧・太陽小学校です。

旧・太陽小学校の体育館にピッタリ収まった超大作 旧・太陽小学校の体育館にピッタリ収まった超大作

補修の必要がほとんどなかったという立派な造りの旧・太陽小学校。その体育館に超大作を運んでみると、なんと5mmを残してピッタリと収まってしまいました。理事長は、これは大変不思議なことだと、運命のようなものを感じます。

自然と共生する美術館自然と共生する美術館

そして、理事長がこの場所に来てわかったことではあるのですが、ディマシオのコンセプトの中に「宇宙」があります。宇宙の中心は太陽。
この美術館のある地域が「太陽」という名前であったということにも運命を感じました。
また、色合いや形、豊かな自然に囲まれた校舎や体育館は、自然や環境を大切にするディマシオの世界観とも合致。
理事長はこの地域の豊かな自然を大切に想い、共生したいと考え、校舎の窓を活かして自然光を採り入れています。
ディマシオも美術館があるこの新冠町、太陽地区の自然が大好きで、この場所を大変気に入っています。
大都会でこの自然を作り出すことは不可能。
この美術館に来る道中で、私達が忘れかけていた素晴らしい自然を見直すきっかけになればまた嬉しい、と理事長は考えています。