ディマシオとの出会い、そして、新冠に美術館が出来るまで
ディマシオとの出会い
約50年前、偶然パリのギャラリーでディマシオの作品に出会い、あまりの美しさに衝撃が走ったと当美術館の理事長、谷本 勲は話します。
鉄鋼業界の第一線で活躍していた谷本が絵を買ったのはディマシオが初めてでした。
その後コレクションは100点、200点と集まっていきます。
将来は美術館を造って、心に響いたディマシオの作品を多くの人に見てもらいたい、そう話すとディマシオは、美術館のシンボルになるような絵を描くと約束するのでした。
超大作の完成
約束通りディマシオは1994年から3年の年月をかけて高さ9メートル、幅幅27メートルという超大作の油彩画を完成させます。
しかしそのあまりの大きさゆえに展示できる場所探しに難航し、公開できないまま10年以上の歳月が流れました。
美術館の設立を決意
偶然、北海道の新冠町で廃校になった小学校があるとのニュースに遭遇します。一度も訪れたことのない場所でしたが何かとても感じるものがあり、すぐに大阪から廃校のある新冠町へと向かいました。すると、65年前に入植された開拓者の方と出会い、「この小学校をなんとか再生してほしい」と手を握られ、その熱意にひどく心を打たれました。
「開拓者魂が乗り移った」
そう話す谷本は、鍬ではなくアートでこの地を開拓することを決意。この場所に美術館を設立することを決めました。
旧・太陽小学校の歴史
明治以来、多くの先人たちが北国の厳しい自然環境のもとで、数々の試練や困難を乗り越え、何もない原生林から今日の新冠町太陽の礎を築いてきました。
昭和22年に最初の開拓団が太陽地区に入り、最初に立てたのが旧・太陽小学校の前身、「木の皮学校」。
このような開拓精神を受け継いできたこの新冠町太陽で、2008年に惜しまれながら廃校になった小学校が本施設の前身である旧・太陽小学校です。
補修の必要がほとんどなかったという立派な造りの旧・太陽小学校。その体育館に超大作を設置してみるとわずか5mmを残してピッタリと収まり、これは大変不思議なことだと運命のようなものを感じます。
そして、ここに来てわかったことがあります。ディマシオのコンセプトの中にある「宇宙」、その宇宙の中心は太陽です。
美術館のあるこの地域が「太陽」という名前であったことにも運命を感じました。
また、色合いや形、豊かな自然に囲まれた校舎や体育館は、自然や環境を大切にするディマシオの世界観とも合致。
この地域の豊かな自然を大切に想い、共生したいと考え、校舎の窓を活かして自然光を採り入れています。
ディマシオも美術館があるこの新冠町、太陽地区の自然が大好きで、この場所を大変気に入っています。
大都会でこの自然を作り出すことは不可能。
ここ太陽の森 ディマシオ美術館で、私達が忘れかけていた素晴らしい自然を見直すきっかけになれば嬉しい、と考えています。